コミュニケーション、会話に悩んだり、これに興味をもつ方へ。
「何を言うか」「どううまく伝えるか」が決め手になる。そう思いますよね。
わかります。
けれど、カウンセラーである私(代表)が、ふだん、「何を言うか」以上に考えているのは、
「何を言わないか」です。
カウンセリングや、
カウンセラーでなくても、
みなさんが意識している「どう伝えるか」「話し方」「コミュニケーションスキル」。
この中の繊細で重要な技術について、今日はお話しますね。
この記事を読んでもらいのは、たとえばこんな方
●カウンセリング、カウンセラーに興味がある方
●コミュニケーション、会話に悩む、苦手だと感じる方
●内気な方・繊細な方
●親子のコミュニケーションを見直したい方
●コミュニケーションスキルに興味がある方、向上させたい方
●カウンセリングや相談支援に料金を支払うのは楽ではないが、
公的支援以外の民間カウンセリング・相談を希望する方
●日本語、日本文化の奥深さに興味がある方
1「言わない」、「言えない」こと。
使うべきことばとは「違うことばで言う」とき
代表・後藤敦子の近況 ごあいさつ
みなさんへ 9月に誕生日を迎えました。
理解できない年齢… になりましたが、
最近の「すっかり変わった」うれしいことは、「お化粧が要らなくなった」。
仕事などで、お化粧をするときはありますが、とても楽になりましたね。
兼務の仕事
公のご職場で、カウンセリングを担当させていただいています。
すばらしい、大切な仕事、責務だなと。
たのしさ、面白さ、やりがい、難易度の高さ。
もっと向上させたいし、その余地がみえる。
「カウンセラーはきらいな天職」(「天職を考える」ブログを書きます)=はい。
きらい、というわけではないんですけどね。
きらい、というわけではない。すると、これはどういう意味なんでしょう。
2「言わない範囲」「教えない範囲」こそを大切にする
カウンセリング・相談支援、教える仕事。
「どれだけをことばで伝えるか」「今日は、どの範囲を教えるか」。
これは「表」となりますが、
あなたがどれだけ、「表」とはならない「その他、すべてのもの」を持っているか。
「表」の部分で精一杯 =「相談助言できる範囲」「今日、教える範囲」の用意で精一杯
精一杯にならない。出さない専門や教養がいくらでもあること。
「今日、何を言わないか」「何を教えないか」。
fa-arrow-circle-right「ご本人の負担を考えて、言わない/教えないことがある」。
その判断は、たえず必要ですよね。
例: これ以上、ご本人(クライエント)が傷つく、悲しむようなことは、
言わない。
ただ、今日のテーマから私が投げかけたい問題は、
●カウンセラーや教育に携わる人間が、
「カウンセリング」「何を、なんのために教えるのか」の思考、感受性を
どれだけ伸ばせているか。
ここにどれだけの素養や教養があるか。
このことです。
(→難しいですよね。また別記事にて。)
あなたの「表」とならない部分が、あなたの「深み」「影」になる
私が「みえないところで」大切にしているのは、むしろ
「どれだけのことを言わないか」「どれだけのことを、教えないか」です。
コミュニケーション。
私には「どういう意味か、悩む用語」なんです。
わからないわけではないのですが、私はあまり英語やカタカナ語を使いません。
英語だと言い表せないことが、
日本語なら、心にそった繊細なことばにできるので。
日本語、日本でなら、「むしろ言わないでいる場合も、多い」。
要となるのは
日本人は「むしろ、言わないことをいつも選んで」いますよね。
この空気を適切に読み、会話できるかが、たえず厳しい基準とされる。
日本人のこの「せまいルール」が、「しんどい」「疲れた」。
そう「すり減らしている」方に、ご相談でいつも出会いますね。
私自身は、このルールがしんどいというより、
このルールのために、生き方、仕事のしかたも、とても圧力がかかるんですね。
fa-arrow-circle-right「ふつうに優秀にみえる先生であれ」と。
これ、なんだろうと。
コミュニケーションに悩む方。
「言えなかったことばかりだ」「また、うまく伝えられなかった」と、
会話に苦手意識をもち、いつも会話を反省しなければならない。
疲れがひどい。
「すり減らす」人口をこんなに増やす意義はあるのか。
コミュニケーションがうまい、必要十分に(かな?)伝えられることは、
とくに外でのやりとり、仕事では、大切な能力だと決められてしまう。
器用でない会話は、心を打つ
けれど、外でのマナーを保った会話や、仕事での話し方を、一旦、置いてください。
ドラマや映画、小説、そして実際の人との出会いでは、
「言えなかったこと」「言わずに去ったこと」が、あなたの心に残りますよね。
そう。「言えなかった」「うまく伝えるなんて、できそうにない」人に出会うと、
あなたは心が動きませんか。器用なんかじゃないことに。
そして、「さらさらと器用に、滞り(とどこおり)なく話せる、伝えられる」ことが、
それだけが、そんなにすばらしいことだろうか。
そんな思いが、心をかすめるかもしれません。
「うまく言えない」不器用なだれかが、
自分や世の中の「あたりまえ」「ふつう」に、
「何か、言うことができない何か」を感じさせてくれるとき
自分や世の中の「あたりまえ」「ふつう」に、何か、何か「言うことができないもの」を感じさせてくれるなら。
生きていること、人とのあいだは、実に奥深いとしか、言いようがありません。
3人とのあいだ、人間は、「ことば」「器用さ」から「はみ出た余剰」(余分、残り)に満ちている。ここに心を傾ける
「言わなかった、言えなかったこと」「余剰」(余り、残り)がある。このすばらしさ。
「枠の中におさまる」会話では、初めてきくことばも、「引く」言動にも出会いません。
「枠の中におさまる人間」って、人間でしょうか。
人とのあいだ、関係とかいうもの、人間を、
「自分はほんとに、わかってるのだろうか」。
この後半部分。「自分はほんとに、わかってるのだろうか」。
これをいつも意識できなくてもいい。
けれどこれが、標準的とされる会話マナーの「外」にある、
「もっと大切なこと」なんですね。
余剰、「言わない、言えないこと」を作れるコミュニケーション、会話は、深い。
その方の「実力」ですね。
「余剰を感じる力」、
「実益」社会で失ってきた「感受性」をとりもどす
これができると、コミュニケーションや会話についての世界観が変わると思います。
4人間がことばで「本当のことを話せない」というパラドックス
言うべきことと「違うこと」を言う/「違うことば」で言う
先に私は、「カウンセラーはきらいな天職」、
「きらい、というわけではないんですけどね」。
そう書きましたよね。
これはちょっと高度なスキル、いえスキルではないのです。
人間がことばで「本当のことを話せない」というパラドックスです。
フロイトの精神分析学につなげて考えたい「本当のことが話せないパラドックス」
「言いたいことと、違うことを言ってしまった」。
大事なときにかぎって、
「何を言ってるんだ、自分は…」。
こういうことはありませんか。
それから、「言いたいことはあったのに、まったく違うことばになった」。
相手に気をつかって、波風の立たない表現、やさしいことばに変える場合はありますが、
もっと根本的な「ことばの不自由さ」。
「言うとすれば、違うことばにするしかない」。そんなときのこと。
本当に感じている、思っていることを、私たちは「言える」のか
本当に感じている、思っていることを、私たちは言えるのでしょうか。
たとえば、「こどもに愛情がある」だとか。
参考記事
当サイトの過去の記事から:
子どもの不登校は、「(お母さんの)愛情不足ですね」といった助言が、教育機関で平気でなされている実情。
「愛情不足」とは、どこからもらってきた受け売りの言葉なのか。
言っているあなたは、だれなのか。
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