このエントリーでは、評論家・小林秀雄と理論物理学者・湯川秀樹(日本人初のノーベル賞受賞者)との対談での小林秀雄のことばをもとに、子どもたちや若い人が、将来の仕事について、どんなふうに考えることができるのか。いまの時代のキャリア理論やキャリア教育の基礎とはまったく異なる思想的見地(文献=本)から、仕事を創造性豊かに考えることを提案します。

【内容】

1 現代のキャリア理論・キャリア教育の基礎とは「別世界」の思想的見地から、「仕事」について考える

  1.1 福岡伸一の「動的平衡」論は、高校・大学の国語入試問題で頻出

  1.2 なんのための勉強、なんのための仕事? それを考える素地の不足

2 小林秀雄が「仕事」について述べている考えをもとに

  2.1 「成功するか失敗するか、やってみなければわからん、そういう仕事だけが面白くなった」

  2.2 「自分の素質だとか、運命なんてもの(中略)、突破することのできないもの」を肯定し、対決するのが仕事

 

だいぶ前に、大阪の大型書店で(私の住む近辺には、本格的な書店も図書館もないので)購入してあって、読むのがとても楽しみなのに、当分、忙しくて読めそうにない本が、この池田善昭・福岡伸一『福岡伸一、西田哲学を読む ―生命をめぐる思索の旅』(小学館新書、2020年)です。

「動的平衡」で西田哲学を解く。なにを言っているのでしょうか。生物学者の福岡伸一の「動的平衡」論は、高校・大学の国語(現代文)入試問題では頻出です。これを読むための基礎前提として、たとえば、小林秀雄『小林秀雄対談集 直観を磨くもの』(新潮文庫)の中の、評論家・小林秀雄と理論物理学者・湯川秀樹(言わずと知れた、日本人初のノーベル賞受賞者)の対談を読まれると、ひじょうに刺激のある思想が得られると思います。

私は、キャリアとか、キャリア教育ということばを、ほとんど使いません。いま、「キャリア」や「キャリア教育」で一般に考えられているものとは、まったく異なる次元で、仕事や、子どもたちが将来の仕事について、どんなふうに考え、学ぶことができるのか、考えているためです。

入試頻出の論考を、あなたやあなたのお子さんは、受験勉強のために読まれるのかな。それを通して、なんのために勉強するのか、なんのために仕事をするのか、考えてみる機会がなく、「合格のため」「成績向上のため」だけに、こういった論考を読みこなそうとするなら、おそらくそれは無理です。試験では、よい点を取れるかもしれませんが、あとに残るものはほとんどないのではないかと。

仕事のあり方は、実に多様になり、仕事の選択の自由度も高くなった現代ですが、仕事について、創造的に考えるための素地が、ひじょうに不足していると思います。学問・教養が、実社会でまだまだ豊かにいかされていないことの典型例でしょう。

さて、小林秀雄は、湯川秀樹との対談で、「成功するか失敗するか、やってみなければわからん、そういう仕事だけが面白くなった」と話しています。湯川秀樹も、理論物理学をやっていても、大部分は失敗する、と言っています。こんな仕事観では、「リスクが高い」でしょうか。けれども、「うまくいくか失敗するか、やってみなければわからない」のが仕事の「本質」だと、人生をへて感じるおとなは少なくないのではないでしょうか。そもそも、生きることが、どれほどの高いリスクをともなうことであるか。

そして、小林秀雄は、こう言っています。「・・・つまりある自分の素質だとか、運命なんてものが、ある限定された、突破することのできないものが必ず与えられているので、それを肯定して、それと対決して仕事をするのが仕事なんで・・・そんなものがなくても可能な仕事、というものを空想している人は、仕事をしているのじゃない。」(以上、『小林秀雄対談集 直観を磨くもの』より引用。)

ある自分の素質だとか、運命なんてもの、そしてそれは、突破することのできないもの。それが、私たちにはそれぞれ、必ず与えられている。それを自分で肯定して、対決するほどに取り組むのが、仕事だ、というのです。

私がこれまで、自分の仕事としてなにをやりたいか、どうすべきなのか、はっきりとわからないまま、模索というより、苦しんで旅をしてきた、とでも言ったほうが、私のこれまでの、仕事にかかわる部分を表現することができています。そんな私の感じていることを、その先へと、突きぬけて言い切ってくれているのが、この小林秀雄のことばです。

あなたや、あなたのお子さんが、このことばの意味にすこしも実感がもてなくても、いいのです。あるいは、「それは、おぼろげながら、わかっている。でも、それを選べない・・・」と感じる方もいるかもしれません。

子どもたちや若い世代が夢をもてない時代だと、よく言われますね。小林秀雄がこんな人は仕事をしているのじゃないと、批判しているのは、「空想している人」です。現実のただなかにこそ、それを生きることができる夢はあるのだと、私は考えます。

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