このエントリーでは、子どももおとなも、最もよく発する疑問、「勉強って何のためにするの?」を、昨今の学力低下問題との関係で考えます。「学力とは」「教養とは」「考える力をつけるには」といったテーマを考える「始まり」の記事となるかと思います。

内容
1 「勉強って何のためにするの?」への答えを急いだ現代
1.1 「~に役立つから」との発想を突き詰めると、どうなるのか? 「実益」志向の限界
1.2 大切なものは、ほかの何かに使うツール(道具)になるためにあるのではない
2 学力低下問題 —日本人が失った「豊かさ」

「勉強って何のためにするの?」とは、子どもが最もよく抱く疑問のひとつですよね。おとなは、それに対して、どう答えてきたでしょうか。多くの場合、「~に役立つから」「~のため」と、子どもの成長や将来において、「きっと役に立つから」と、答えようとしてきたのではないでしょうか。「勉強は何のためにするの?」を、「よい高校、大学に行くため」と、「受験で合格するため」にすりかえてしまう。おとなが長いあいだ、やってきたことですが、「勉強って何のためにするの?」ーこれについての教養、考えを自分でもつのは、たやすいことではないと思います。

「生活って何のためにするの?」

「命って何のためにあるの?」

ときくことって、ほとんどありませんよね。そもそも、この質問は成り立つのか。ふつうに考えて、質問が成り立たない、これをきいても意味がない、とおわかりになると思います。
勉強も、本来はこの類(たぐい)ですね。
「国語って何のために勉強するの?」
「数学って何のために勉強するの?」
「英語って何のために勉強するの?」
それぞれ、私から「とっておき」でお伝えできる知見は、山ほどあるのですが、それは別の記事で。
今回は、「~のため」「~に役立つから」という発想を、社会のみなが重視してきたことで、何が見えなくなった、できなくなったのか。そのことに的をしぼります。
こちらの疑問には、みなさんはどう答えますか。
「文学って何のためにあるの?」
「音楽って何のためにあるの?」
「美術って何のためにあるの?」
≪注: 作文・(小)論文で、「?」(クエスチョンマーク)を文末に多用することは、まずしないでください。ここでは、質問・疑問だと読み取りやすいように、このマークをつけています。
また、社会人でもほとんど知られていないことですが、「?」「!」の後の文は、一マス空けて続けます。≫芸術を味わう人の喜び、楽しみのため、という考え方も、できるでしょう。でも、芸術家たちは、「~のため」を第一の目的として、本当に作品を生み出したのかな。

現代の日本社会は、「~のため」「~に役立つから」との発想を、まじめに突き詰めた結果、「すぐに役立つもの」「実益となるもの」こそを、子どもたちに優先して習得させるべきだ、との方針に偏ってしまった。軌道修正するのも、とても難しい。私が痛感することです。

「不登校って何になるの?」
「ひきこもりって、それで何が楽になるの?」
これらも、「問いになっていない問い」だと思います。太宰治が好んだ、戯曲家(劇を作る作家)のチェーホフの言葉として、「意味ですって、今、雪が降っている、それに何の意味がありますか?」という台詞(せりふ)があります。そう、今、雪が降っている、そのことの意味を尋ねる人はいない。「文化や教養、勉強」は、その意味を問うことが無意味であるほど、人間にとって自然なもの、古代からの歴史だ。
それも私は感じるのですが、この記事では、現代の日本社会が、どういう困難に陥っているのか、とくに「学力低下問題」を考えるヒントになる問題提起ができれば、と思います。

 

大切なもの、かけがえないものについて、これは「ほかの何かのため」に「役立つから」あるとか、「ほかの何かのためのよいツール(道具)だ」と考える発想が、日本人に豊かさを失わせた面はとても大きい。私はそう考えています。とくに、日本人は、「~に役立つから」との答えを得ると、「役に立つ」、つまり「実益」の追求を、本当にまじめに急いでしまうので。

勉強とは、教養とは、文化とは、歴史とは。国語とは、数学とは、英語とは。これらの本質を知ろうとしたり、考えたりすることは、できる人間には、実に楽しくおもしろいことです。今、こういうことを、本気で知ろうとしたり、考えようとする子どもやおとなが、どれだけいるのか。社会人の「教養ブーム」「おとなの学びなおし」は、この楽しさ、すばらしさへの感受性がある動きでしょうね。
けれど日本社会の大勢は、ここにしんから興味をもつことが、難しい。目先の「実益」と思えるものにふりまわされると、教育を受けることで得られる学力は、どんどん豊かさを失い、低下するでしょう

日本古来からの文化はもちろん、現代の自然や文化がわからない子が、どんどん増える。
まとまった日本語が読めない、書けない生徒、学生、社会人が急増している。
子どももおとなも、「思考力」「考える力」をつけようとしているが、そもそも「思考力」「考える力」とは何なのか、どこまで考えられているのだろう。

不登校やひきこもりも、目先の「実益」というのか、そのような「目標」を叶えることだけにとらわれないようにしたい。そう私は思っています。

まだまだお話が続くので、また次回、お会いしましょうね。

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