このエントリ―では、ひきこもりの生活で、最も深刻なこととして起きる暴力について、とくに精神疾患、精神障がいや、発達障がいが関わっている場合を主な内容として、お話します。このテーマは、いくつかの記事で、連続するかたちで書きます。

私は苦しむご本人の前で、「暴力」ということばを使わない

「ひきこもりと暴力」に直面されている方にとって、これほど切実に、もうとれる方途は尽くされた状態で、安心・信頼してご相談できるところも少なく、世間に迷惑をかけまいと、何重にも苦しんでおられることは、なかなかないと思います。実に暴力や暴言は、ほかの苦しみに類比させることができないものだと、私も感じています。

まず、原則、私は、ひきこもりの生活で、ご家族を殴ったり、蹴ったり、物を投げつけたり、怒鳴りつけたり、命令したり… といったことをせずにいられないご本人と向き合うとき、また親御さんに対しても、その行動を「暴力」とは呼びません。ご家族への「行動化」(アクティング・アウト)によって、ご自身、みじめな思いになっているご本人が、「暴力」「暴力」と、わかっていることを、何度も言い聞かせられて、よけいにみじめになると思うためです。また、ご家族も、ご本人のみじめさが増幅することを、喜ばれたり、それで慰められるはずは、ふつう、ありませんよね。

ご本人とご家族を本気で守り、心から、かけがえない人生を生きてもらいたいなら、ご本人(とご家族)が、よけいにみじめな思いを深める「暴力」ということばを、それよりはみじめさ、苦しみが軽減できると思われる、別の表現に置き換える。その程度の配慮、尊厳ある人と向き合う態度の徹底ができずに、この分野の「支援者」を担えるとは、私には思えません。

ご本人と向き合うという尊厳ある場で、ご本人がよりみじめになることばを使わない

「暴力」を別の表現に置き換えるのと同様に、ご本人がよけいにみじめになることばを使わずに、ご相談や支える仕事を進める。私のその態度・方針は、今回の記事でとりあげる場合以外、つまり、精神疾患や発達障がいがはっきりと関わるとは考えにくいひきこもりの方の場合でも、原則、同じです。

ご本人やご家族と向き合うときの、支援者が選ぶことばについて。―これだけでも、お伝えしたいこと(=問題提起したいこと)は、たくさんあります。私がひきこもり分野の第一人者である斎藤環さんの著書に見いだすことのひとつは、「やはり斎藤環さんは、医師、精神科医でいらっしゃるのだなぁ」ということです。著書の中でのことばづかいからも、逐一、それを感じます。
そして、私は、「ひきこもりの方と、彼を支えてきたご両親(ご家族)と、『一緒に生きる』時間を大切にする。指導的立場でも、治療的立場でもないが、専門知見や冷静な判断力を用いて、支援者としての専門の立場を貫く」人間だ、と、斎藤環さんとの違いを改めて感じます。

心の疾患や障がいで、家族への「行動化」が続くとき

最近は、「身近な、ふつうの人たち(おじちゃん、おばちゃん)」がひきこもり支援で活躍できる部分はかなりあるとの実践や認識も進んでいますし、ひきこもり支援は従来、ボランティア団体(NPO法人など)が多く、担ってきました。私が副理事長をしていた(現在も連携しており、私のたまの「ほっこりできる場所」として、行かせていただくことも多い)NPO法人ひきこもり支援サークルとらいあんぐる(和歌山県橋本市。関連記事は、こちら。)も、ひきこもり支援団体として15年以上の運営実績があります。

ただ、「ひきこもりと暴力」の問題については、公的機関も、公益団体も、私のような民間事業者(民間カウンセラー)も、支援を果たし続けることは、まったく容易ではないと思います。
今回、とりあげている精神疾患や発達障がいであるがゆえの、ご家族、ご自身(自傷行為もある)、外部に対する「行動化」については、精神疾患、精神障がいや発達障がいについての専門知見が支援者にあることは当然ですが、ご本人の生活や心のあまりの苦しみ、負担、ままならなさを「軽減する」方法を、相談支援の体制の中で実践していくことが、まず必要です。

とくに、斎藤環さんもかなりのページを割いて解説されていますが、強迫性障がい(確認を何度もせずにいられない、などの精神疾患)で、生活の大部分が、まさに「ままならない」不自由さを強め、その苦しみからご家族への「行動化」が起こることは、とても多いです。

強迫性障がいが重くなると、洗面所やトイレ、浴室を使って、身体の清潔を保ち、排せつを無事に行うことも難しくなる。食事をして汚れた食器をさわったり、洗ったりすることや、衣服の着脱、…本当に、日常生活の多くのことが、「できない」状態になるのです。ですから、この状態になっているご本人が、外出までの用意をすることは、慣れるまでは、たいへんな時間・労力がかかり、自力ではまず不可能なことにもなります。

親御さん(主にお母さん)の支え・介助・付き添いがなければ生活できない状態から

強迫性障がいでの「生活のままならなさ、不自由さ、苦しみ」は、独特のものです。どのように独特であるのかは、別の機会にお話しますね。ここで、ご本人のままならない「生活」を細部まで、「代わりに行う」、あるいは「苦しさを痛切に伝えるご本人の思いを、毎日受けとめる」ことをされているのは、多くの場合、お母さんです。強迫性障がいを伴うひきこもりでは、お母さん(親御さん・ご家族)が代わりにされている、そのやり方について、ご本人が「そうじゃない! こうしてもらわないと、困るんだ!」と、激しく怒ることになったり、ご本人の苦しみの表現の対象が、お母さん(親御さん・ご家族)になり続けたりすることが、とても多いのです。

強迫性障がいで、ままならなくなることは、それがなければ実際、生活すること、生きることができないような、清潔保持や身辺整容、排せつ、ほか衣食住のすみずみにまでにわたることです。そのため、ご本人の苦しさや生活ができないことの切迫感、このままだと、もうどうなってしまうのか、という不安は壮絶で、行動化が向けられるお母さん(ご両親・ご家族)も、生活の細部まで、膨大な支え(介助)をしているうえに、ご本人の壮絶な行動化を止める方法がなく(いろいろやってみても、策が尽きてしまい)、お母さんはじめ、ご家族の苦しみ、疲弊も、痛ましい、深刻なものになります。

相談できて、支援体制を得られる支援者を「外部」に確保する。そのときの注意点

今回は、「ひきこもりと暴力:精神疾患や発達障がいの場合」の導入のみで、お話を終えるかたちになります。ともかく、上に挙げた強迫性障がいの場合、私がまず、お伝えしたいことは以下の3点です。

(1)ご本人の強迫性障がいがどんなものか、支援者がきちんと詳細をきく。従来、強迫性障がいの代表的な心理療法とされてきた認知行動療法や森田療法では、現実、改善が困難な場合は多いと、私は感じます。私が別の方法をとって助言、支援し、そのほうが症状が軽減する場合があります。
(2)お母さんがご本人の生活の細部までの支えを担っておられる場合が非常に多い。けれども、これは、本来、熟練したヘルパーなら、担える業務ばかりです。ヘルパーサービスの地域間格差の大きさと、サービス利用における課題については、また別にお話しますね。
(3)ご本人(お子さん)の苦しみ、怒りが激しくなり、お母さんはじめ、ご家族の限界を超えた、もう超えてしまう、それでもどうにもならない、とお感じの場合。ご家庭の「外部」に、専門の支援体制を提供できる支援者や、ご相談窓口を確保し、改善をはかっていくのが、ひとつの道だと思います。もちろん、昨今増加し、問題となっている、「お子さんを100%立ち直らせます」(←これは、すでに誇大広告です)などとうたう「暴力的支援団体」に支援を求めてはなりません。最近は、この「暴力的支援団体」の親御さんへの語りかけ方も、一見、苦しみに寄り添った、巧妙なものになっていますから、注意が必要です。

エーミールでは、「ひきこもりのお子さんの行動化」に苦しみ、疲れ果て、「もう、これ以上どんな方法や助けがあるのだろう」と、明日も見えない思いでいらっしゃるご家族からのご相談を、電話相談を柱として、さまざまなかたちを工夫して、引き受けております。どうぞ、ご相談すべきかどうか、わからずにいる、という地点からで結構です。お問い合わせください。

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