このエントリ―では、「ひきこもりと暴力」についての二つ目のお話として、私がひきこもりの青年と対話するなかで、感じてきたことをお伝えします。

一見、解決が早いかに思える「どうすればよいか」といった、治療者や支援者が、よく親御さんに説明する「方法」を、私はこのサイトでは、容易く(たやすく)、最初からご説明することは少ないです。具体的な「方法」は、相談支援でも、授業でも、すみずみまで駆使しています。こちらではまず、これから長期にわたって、どんな心で、お子さんを支えていただきたいか。そこからお話しています。

親御さん、ご本人が、「今の状態の果てに、何があるのだろう」と、これ以上、出口が見えそうな「方法」がないように思われて、疲労と不安に苦しんでおられるなら、届くことばが、この記事にあるのでは、と。個別の詳しい「方法」については、こちらでお話する以上に、実際にお出会いするなかで、もちろんお伝えすることができます。

傷を負っているのは親御さんだけではない

前の記事「ひきこもりと暴力:精神疾患や発達障がいの場合(1)」一般に「暴力」といわれるものではあるけれども、行動化(「アクティング・アウト」)に至らずにはいられない、そのようにして苦しむご本人の前で、私は「暴力」ということばを使わない、とお話しました。

ご自身が、してはならないことをした、とわかっておられるでしょう。また、ご自分の苦しみを、いつも支えてくれる(親御さんとの長年の関係のなかで、恨みや憎しみ、寂しさはあるかと思いますが)親御さんにぶつけるしかない状態にあること。お子さんは、それをご自分でみて、ほかでもない、支えてくれる親御さんに自分の苦しみをたたきつけていることに、さらに重ねて、苦しみを強めている場合が多いです。

親御さんは、お子さんが社会に出られない苦しみや無念さ、不自由さから、どんなことをしてでもお子さんを助けようとしてきた、その親御さんに傷を負わせるかたちで、力やことばで荒れ果てている ―そのことに、実際に親御さんがけがをされた場合も、そのけが以上に心をいためて、苦しんでおられるかと思います。

親御さんも、きっと気づいていらっしゃるでしょう。こうして傷を負い続けているのは、親御さんだけでなく、お子さんでもあるのだろうと。そして、こう思われることも多い―「(私たち)親はともかく、早く、どうしてもこの子を救ってやらなければいけない」と。

「共依存」用語に依存する必要はない。「だめな親子関係」だと、ご自身を卑下される必要はありません。

ここで、専門家、治療者や支援者、カウンセラー、福祉従事者の方などが使うことがある、「共依存」という用語に、それこそ「依存」する必要はないと思います。私には、ご家族に対して失礼な、趣味の良くない専門用語に思えます。

長年、精一杯、最善を考えて苦労されてきたご一家に、専門家や関係者の方たちは、「共依存」だとかのことばでインフォームド・コンセントを行いたいと考えるのでしょうか。関係者のみで検討するときの、いわば業界用語であるなら、この「関係者」が、どれほどの何を知っていると、自信をもっていえるから、この乱暴な用語を使えるのか。そう思いますね。

親御さんは、堂々としていてください。自分(たち)は、だめなことをしてきたのだろう、とご自分を否定されるために、これまでをたどられる必要はありません。

私は先に、自分が(まず)行ってきたのは、ひきこもり(精神疾患や発達障がいが関わるひきこもりである場合が、圧倒的に多かった)の青年たちとの「対話」だ、と書きました。

それは、カウンセリングや相談支援、また「学びの場をひらく エーミール」を開設してからは、進学希望の方などに、授業(個別指導)をする、必要なときには、電話相談であったりと、さまざまなかたちをとっています。

けれど、まずもってそれらは、青年たちとの「対話」だと、私は感じてきました。私が「カウンセリング」や「相談支援」といったことばを、安易に用いたくない、と考えていることも、関係していますが。

生きたい/ふつうでなかった/取り返しがつかない/不安だ/悲しく、無念だ、といったご本人の思い

親御さんに、力や荒れたことばでお子さんが訴えてやまないのは、上の見出しにあるような思いですよね。ご本人は、生きたい、と願っているのですよね。そうでなければ、こういった思いを、親御さんにぶつけるはずはないのですから。

そして、私がご本人と「対話」してきて、よく気づいたのは、ご本人は、生きたいと願っているのですが、そのための道を考える以前に、彼らのエネルギーが強いとは感じられない、ということです。彼らがエネルギーで満ちた状態だとは、思えない。なので、衰弱した力を、親御さんにぶつけている、と私は受け取ることが多いのです。

ひきこもりの青年のなかには、どうしてか、ほかの子たちのような、将来に向かってキラキラと進みたい、というエネルギーの強さが見いだしにくい方もいます(ご本人が、そう感じてきた場合もある)。
また、一生懸命に、目標や、進むべき道を考えている方も多いです。けれど、エネルギー(energy)の語源は、ギリシャ語でいう「活動」ですが、そこに彼らが「しっかり結びつけて(つながって)いる、エネルギーをらくに発揮できている」とは思えないのです。

私はここから、衰弱しても生きようとしている彼らが、いまの状態がすぐに良くならなくても、あなたは「あまりに無念な、もう取り返しがつかない自分」としてだけでなく、ほかの生き方も、いまからできると思うんだよ、と伝えます。

これはどういうことなのか。記事を改めて、続きをお話しますね。
酷暑が続きますね。どうか、おからだを大切に、休息を欠かさず、とってくださいね。

おすすめの記事